半世紀前、マイケル・ボランニーは「暗黙知」という概念を提唱した。漢字の字面からはあるコミュニティ内に漂う共通概念っぽい印象を受けるが、原文では"Tacit knowing"となっていて「暗黙的に知るプロセス」であると言っている。彼は仮説検証よりももっと重要なプロセスとして「意味ある全体像を暗黙のうちに構成する力-Tacit knowing」の存在を考えた。今ひとつ良くわからない。今度原本を当ってみようか...、翻訳本じゃダメかな?でも、194ページの文庫本で 945円というのはちょっとお高い (^^;
私が再三にわたってプロセスと言っているのは、 Tacit knowingによって全体像を再構築できる前提として、少なくとも全体がどういう仕組みで出来上がっているのかを知っておかなければならないからだ。一人で把握できるうちは良いのだけれど、それを超えたときはどうするのだろう?一人、または少人数でのすばらしいプロジェクト(チーム)が、規模が大きくなるにつれ輝きを失っていくのはそこいら当りに原因があるんじゃ無いだろうか?
小柴教授がカミオカンデの細かいことまで知っていたとはちょっと思えないんだけれど。
ハウツー本は手っ取り早く手段を説明する本であるから「AのときBをする」というような書き方しかしない。本当に必要なのは何故Aという状況が生まれたかという点に思考をめぐらす事である。具体化しすぎると、すこしでも違う状況に応用が利かなくなるけど、抽象的になると途端に具体的な事象に応用できない人も多くて。というか、普段の生活と関係ない分野ではみんなそうかも。
一歩も二歩も引いたところからのメタな思考をオールマイティ且つ合理的に使いこなせる人って、会ったことが無い。
賢狼ホロの言葉を借りれば「嘘をつく時、大事なのはその嘘の内容ではなく、なぜ嘘をつくかというその状況じゃ」ということだ。(狼と香辛料1巻 P.91)
本人に嘘をつく気がなくとも、人から出た情報(言動)には必ず主観が混ざっている。客観的な情報という観点では主観が混ざった情報は嘘と変わりがない。本当に必要な情報というものは主観の向こう側にある状況であり、それをきちんと再構築できる能力が「暗黙知」なのだ。
これってワインバーグの言うところの、
ディーラーの心意気:みんなを信頼して、でもカードは切るんだと同じ? いや、「信頼を勝ち得るの法」(P.211-)の方がしっくりくるか。(コンサルタントの秘密 P.154)
私は、一人の人間が私に、すべての真実を、しかも真実のみを知らせてくれる能力があるとは信じない。(コンサルタントの秘密 P.219)
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